私ってとっても賢い子

出向先の職場の体質が、昼食を食べない(正確には女性は食べない。仕事中に何かしらをつまんでいるよう)というところにあるらしく、せかくの休憩室は殆ど使われること無く、常に閑散としています。
私はあくまで出向という身分ですので、遠慮なく頂きますよ。お昼ごはん、お弁当作ってきちゃってるしね、はいいただきます、とひとりで事務室とパーテーションで区切られた休憩室を利用しているのですけれど、そろそろなんとなく気が引けてきた、様な気がする。
私ひとり、皆さんがあわただしく働いているのに休憩していてよいのだろうか、と弱気な自分を垣間見た本日。
パーテーションの向こうで若い事務員さんが、コピー用紙をなんだか知らんけどがさがさしていて、中年のすらりとした女性がからからとサンダルを鳴らしながら駆けていて、電話がわんわん鳴いていて、おじさんがなんごとかをわーいわーいと叫んでいて、あれー、なんかこれってサーカスみたいだなー、このパーテーション一枚が私たちをとても大きく隔てているー、こことそこは完全に別世界ですのよね、私がいるのはのどかな昼下がり木漏れ日風味、あなたたちがおるのは戦場しかも瀕死、パーテーションの力恐るべし、これはもしかして結界やもしれぬ。でも戦場におられる方たちにとってはきっとこれってただのうすい壁で、私が結界と思っていてもあら、彼らにとっては何故同じ空間に居てお前優雅に昼食を、ということやもしれぬ。なんかそれってやだ。とてもやだ。

そんなのしらねーよ、と、申し訳ないけれども、の二つを交互にせわしなく思考が行き来する。
けれどもおいしいお弁当を食べていてはらと気が付いた。

そんなのしらねーよ、も、申し訳ないけれども、も、どちらもお昼ごはんを食べることが決定している上でのせりふであって、自分としては皆さんのようにお昼を抜くという(若しくはちょこちょことなにかをつまみもって働く)選択肢ははなから排除されているらしいのですね。
だたらば、最初から、そんなのしらねーよ、も、申し訳ないけれども、もどっちだってよくて、振り子運動みたいにその両方に振り回される必要なんか無くて、私、ただどっしりとお弁当を食べていればよいのでした。
というわけで私これからも元気にお昼ご飯を頂くことで決着です。
めでたし。