おへそと携帯

突然なお話なんですけれど、恋人や伴侶の携帯電話を見るだとか見ないだとかの議論がもうひとつ良く分からないのです。
見られることが恥ずかしいのか、苛立たしいのか、一体全体何が問題なのか分からないのです。

勝手に見るのはいけないことだ、ということが一般道徳としてまかり通っていることは十分分かっているので、しないようにはしているけれど、でも何故なのか分からないのです。
しないようにしてるんだから、残念な女だと思わないでね。




お友達のを見てはいけない、と思う。
姉妹のも駄目だ、と思う。

彼らにとって、私は一部分でしかないし、彼らも私も、結局会っている時は「それ仕様」だから。
「他仕様」が彼らにはあると思うのが当然で、もしかしたらそれは一生私には開かれることが無いかもしれないのだから、彼らが開放しようとしないものを知るのはお互いにとってきっと良くない。

けれども、恋人や伴侶はその範疇ではない、と思う。
おへその穴や脇の皺、足の裏のマメまで全部全部知られても、まだ開かれない部分があるんだとしたら、それで恋をしてると言い張れるなら、すごく悲しい恋をしてると思う。
何のために恋をしたんだ、と思う。
それでも開くことができない部分があるなら、それは芸術や音楽に打ち込むべきだ。
そういう時の為に(だけではないにしろ)それらはある。と思う。

おへその穴よりも携帯電話って信じられるんだろうか。
水没したくらいで壊れるくせに。


みんながそんなに携帯電話を信じてるんだとしたら、もう殆どそれって神様だ。